嘉代が教えてくれたこと~2020年へ~2019年12月31日
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今年はドリーミングにとって…
「転換」の年となりました。
あえて「変化」ではなく「転換」です。
今年1月6日、それはあまりにも突然のことでした。
1月8日に迎えるお誕生日を前に、友人ご家族のお家にお招きされた私たち。
40分ほど雑談し、いよいよお祝いが始まる前…。ひと息ついた後でした。
「 やっぱ私…なんか変」と、嘉代はとても穏やかにつぶやき、座っていた椅子から立ち上がりました。
その時、私が何気に差し出した手に嘉代が少しだけ寄りかかりました。
ほんの少しです。その微かな違和感だけで、私は友人に救急車をお願いしました。
「救急車来るから、痛いところあったら今のうちに言っといた方がいいよ」
と声をかけると「頭がいたい」と冷静に答えました。
「座ったら?」というと自分で床に座りました。
「横になったら?」というと自分で横になりました。
これが最後の会話になりました。
すべてがいつものようにです。
何も変わらない。いつものように穏やかな普段の嘉代でした。
それから嘉代は26日間眠り続けました。
少し微笑んだ顔で。やはりいつものように眠っていました。
そこに悲壮感は微塵もありませんでした。
現実的には、目の前で眠り続けている嘉代の生命。でもその生命は躍動していました。「今こそやるぞ!」と、活発に挑んでいるようにしか見えませんでした。
そして、私は私の役割を果たさなければならないと思いました。今何をすべきかを自分の命に問いかけながら挑むかけがえのない日々。
「そうだ!嬉しいんだ生きる喜び、たとえ胸の傷がいたんでも」
「アンパンマンのマーチ」の冒頭の歌詞です。
苦難に立ち向かうその強さの中にこそ、本当の生きる喜びや幸せがあることを、 嘉代は命をかけ私に教えてくれました。
「アンパンマンのマーチ」を感得するため。
やなせたかし先生の、この素晴らしい歌詞を身で読むため。
「宿命」を「使命」へ…
「絶望」を「希望」へ…
見事に「転換」していった嘉代。
私が負けるわけにはいきません。
嘉代 が旅立って37日目には、一人でステージに立ちました。
高知のホテルで開催された「やなせたかし文化賞 授与式 パーティ」
あの状況で、私を信じて迎えてくださった「高知アンパンマンミュージアム」のみなさんには感謝しかありません。
前日…やなせ先生のお墓参りをし、高知アンパンマンミュージアムへ。
先生の新しい絵画の展示があるということ。
するとそこに…
アンパンマンと一緒にいるドリーミング!?…。
え!?
えーっ!?
やなせたかし先生 作・絵の「怪傑アンパンマン」という作品の絵です。
でもこの作品か描かれたのは
1977年。
やなせ先生と私たちが出会ったのは
1988年です。
先生とドリーミングは「出会った」のではなく「巡り逢えた」のだ…。
そう確信しました。
だからまた巡り逢える。
先生とも嘉代とも。
嘉代は私に次への切符を渡しました。
一人だけど二人
二人だけど一人
です!!
この1年。
支えてくださったすべてのみなさまに
感謝申し上げます。
本当にありがとうございました。
良いお年をお迎えください♪